不登校
ある日、学校から電話がかかってきた。
「サツキさんが2週間ほど学校に来ていませんが体調はいかがですか。」
???私が仕事に行く前にサツキは中学校に行っていた。私は3人の子どもが学校へ行く姿を見た後、出社していた。私が出社した後に家に帰っていたのか?しかも学校に行けない理由なんて聞いていない。
「最近、連絡もいただけていないのでご連絡しました。」
私はどこから出ているかわからない声で「知りませんでした。いつから行っていないんでしょう?」足と手が震えている。なぜだ。怒りなのか?悲しみからなのか?そんな簡単な感情だけではない体の奥底から震えてくるのだ。
「12日から来られていませんね。16日まで本人から体調不良の連絡が来ていましたが、それからは連絡があっていません。」
今日は22日だ。10日学校に行っていないことになる。しかも何の相談もされていない。え?学校もなんで早めに教えてくれないの?いやいやそんなことは家の問題だ。色々な考えが頭に浮かぶ。
「本人と話してみます。明日、ご連絡差し上げてもよろしいでしょうか。」
先生との電話を切り、今から夕食を作るためにミートソース用の挽肉と玉ねぎが出ている状態だった。もう玉ねぎをみじん切りにする気力はない。ソファーに座ってため息をつきながら顔を覆う。
今、サツキは2Fにいる。今すぐ呼んで話を聞いてみるか。
しかし、一人で立ち向かうには今は体力がなかった。頭の中も整理できていない。とりあえず夕食を作ろう。ソファーから立ち上がりフラフラと台所へ向かう。味はもちろん散々なものになった。
夕食もいつも通りだ。サツキは元々話す方ではない。中学になってからもっと大人じみた。よく言うお年頃だ。親にはプライベートは話さない。末っ子のメイが今日友達と遊んだことを赤裸々に話しながら夕食が終わった。サツキはいつも通り夕食が終わると風呂に入った。
サツキが風呂に入ったのを確認し、食器を洗いながら主人に「今日、学校から電話があってさ。さつきが学校に行ってないらしい。」「え?学校に行ってない?いつから?」主人は急にタバコを吸う手を止めて私の顔を見ている。先生から電話があったとき、私も同じような状態だったのだろう。私を私と認識していないように凝視していた。
主人「何か聞いてないの?」それはこっちが聞きたい。心の中でちょっと私は腹を立てる。
私は首を振りながら「いや何も。なにかあった?」2人で斜め上を向くがそこには何も見えない。サツキのことを私たちは何も知らないのだ。
主人「まあ、サツキと話すしかないよな。」ため息まじりに独り言を言う。主人は小学校の教員である。慣れているのかもしれない。
サツキが風呂から上がってカンタとメイに風呂に入るよう伝えた。
「サツキ。聞きたい事があるんだけど。」主人がソファーからサツキを呼ぶ。
渋々サツキがリビングにやってくる。「知ってしまったか。」という表情をしていた。少なくとも私にはそう見えた。
主人「学校に行ってないの?」サツキ「明日から行く。」でた、サツキ構文。
主人「いつから行ってないん?」サツキ「覚えてない。」主人「そうか。休むときはお母さんに言いなさい。学校に連絡しないといけないから。」サツキ「明日から行くから。」そう言ってトントンと足音をたてながら2Fへ上がってしまった。少し足音がイラついている。
理由などは何も聞いていない。「あれでいいの?理由とか聞いてないけど。」主人は「今は何も聞かれたくないやろう。聞いても敵認定されるだけやし。」主人は娘に甘いのだ。仕事とプライベートは違うのだろう。
私はモヤモヤした気持ちを抑えながら風呂から上がった末っ子の髪の毛を乾かす。
話すことはない
それから学校へ行くようになった。何度かまとめて2〜3日休むことはあったが行かない日は私に言うようになった。理由は「頭がいたい」ということだった。そしてもっと話さなくなり部屋の1人で過ごすことが多くなった。
理由はわかっていた。以前より私と主人は意見が合わなくなっていた。2人の会話もなくなっていた。サツキは感じ取っていたのだろう。
程なくして私は主人と離婚をした。子供は私が引き取る予定であったが金銭的理由で主人が引き取るようになってしまった。主人のご両親が孫は渡さないと猛反対した。
色々とあったが少し離れた隣の県外で私は一人暮らしを始めた。サツキは私についていきたいと言い私が住む県の高校入学試験を受けた。難関だったが勉強はできた。無事合格し引っ越しをしてきた。
私は嬉しかった。狭いアパートであったが「狭いな。ごめんな。」と言いながら暮らしていた。それでもサツキは少し話すようになった。いや、随分話すようになってきていた。プライベートはあまり話さないが普通の会話はできるようになっていた。
入学した年の9月。学校から連絡があった。「サツキさんが学校を休んでいます。」
またか。と思った。今度は怒りのみだった。仕方ない。今考えればあの時私も子供だった。
あくる朝、私は仕事に出るふりをした。娘は制服を着ている。「行ってきます。」と私は先に仕事に行くふりをして駐車場でサツキが学校へ行く姿を確認しようと考えて待っていた。
8:00過ぎても姿は見えない。始業の8:40分になっても姿は見えないのだ。
やっぱり学校を休んでいるのか。と落胆し、怒りが爆発した。
駐車場から家に帰りアパートの鍵を開ける。サツキは制服のままびっくりしたような顔でこちらを見る。
私「学校に行ってないんやろ。昨日先生から連絡があったよ。なんで行かないの。」
サツキは私を睨みつけるように「行きたくない。」と言葉を放った。
私は頭の糸がプツンと切れた。私はサツキを捕まえて「学校に連れて行く!」と体を引っ張った。
サツキ「いや!やめて!行きたくない!」
そこからは女性同士の喧嘩というより男性同士の喧嘩のようになった。引っ張ったり抑え込むようなこともした。アパートから引き摺り出し大声で泣くサツキを車の中へ押し込んだ。
「いやや。行きたくない!」と嗚咽を繰り返しながら私に訴える。
私は興奮が収まらず「何がそんなに嫌なん。お母さんに相談できるようになるまで学校に行ってもらう!」今思い出してもよくわからないことを言っている。思い出すだび人生をやり直したいと願う。
車で15分ほど走ったところに学校がある。校門の前に着く直前でサツキは吐いてしまった。
知らないふりをした。学校を休む理由も聞いていない。休むときには私に言う約束も果たされていない。何より学校に行っていないということが2回目なのだ。中学校と高校。友達もできたと言っていた。誕生日にもプレゼントをもらって嬉しそうに帰ってきたではないか。ちょっとやそっとの我慢は効かないのか。ものすごく腹立たしかった。
私「行くよ!」と言い車を降り職員室へ向かった。サツキはフラフラしながら車から降りたが、また吐いた。
フラフラしながら歩くサツキを支えながら職員室へ向かう。途中でもサツキの嗚咽は止まらない。(前日の電話で先生と話はできていた。学年主任と対面するようになっていたのだ。)
先生と話す間、下を向きサツキは何も話さない。顔色が悪い。もう私がサツキをいじめていて嫌になった。先生に保健室が使用できるか聞いた。先生は快諾してくれる。しかしサツキは行かないという。
先生曰く、今後は日数が危ないと言うことで休めないとのこと。休まずきて欲しい旨と図書室、保健室での自習も出校日数に換算する。また、冬休み中の冬期講習は必須とのこと。
かなりきつい状態だ。今まで私は何をしていたんだろう。サツキのことは気にかけているようで何もできていなかった。虐待のようにサツキを扱っている。なかなか凄まじい状況である。こんなことをしているのではサツキは良くなるはずはない。
しかし今、私は渦中にいるのだ。自分が間違っていると感じていてもその時はわからない。どうにかこの状況を自分の理想に近づける。本当に嫌になる。書いていてこの投稿はやめようかと考えるくらいだ。
サツキは頑張っていた。当時の私はわからない。
今日のところは出校している換算になるとのこと。11時を過ぎた頃、自宅へ帰る。
自宅に帰ってからも地獄だった。1DKアパートなのですぐにサツキの状態がわかる。ずっと泣いていた。
引っ越し
ゆっくり過ごすということも考えて少し広いアパートに引っ越した。個別の部屋を確保してみるということだ。2LDKとか金銭的に厳しかった。2DKになってしまった。
しかし広ければいいということでは無かった。個室が出来た事が良くなかったかもしれない。もっともっとサツキは暗闇に入っていった。もっと会話は成り立たなくなってきていた。どうすればいいのだ。
一緒にいるのはご飯の時だけだ。それ以外は部屋にこもってばかり。すっかり学校にも行かなくなってきていた。だんだん痩せてきている。お風呂も入らない。私の顔を見たくないのかキッチンにお茶を汲みにくる姿まで見られなくなった。元主人にも相談し、育ってきた環境も戻そうということになった。(実家へ帰るということだ)
サツキは静かに首を縦に振り、実家の高校へ編入手続きをとった。出席日数などは引き継がれるそうで学校を10日欠席すれば続ける事が難しい状態になっていた。
引っ越しまでほぼ会話もなく父親と共に実家へ帰って行った。
私は何もできなかった。いや傷つけることしかできていない。親という権力を利用し私に逆らうなと剣を振りかざしていたのだと思う。今でいう毒親だ。今になればわかる。
大学も中退
しれからサツキは編入した高校には通えず、退学した。通信制も選択しなかった。しかし勉強することは苦ではなかったのだろう。塾に通いながら高卒認定試験制度を利用し、四国の国立の学校へ行った。浪人すればもっといい大学を狙えるのにと塾の先生からもったいがられた。
私は関与しなかった。金銭面では少々なりとも応援をしたが私が行くというとサツキはバイトをいれ、生活しているアパートへ行っても本人と会うことはできなかった。私はアパートの掃除をして自宅へ日帰りで帰った。
1年の後期で大学に行ってないらしいと主人が教えてくれる。しかし私からの連絡は既読にもならないし、電話も取らない。
私はさつきと離れて暮らすようになってから猫を飼うようになった。だんだんと猫は増え5匹も飼うようになっていたのだ。
数年、そんなことを繰り返しサツキは留年を続け6年在学してから退学手続きをとった。
元主人と話し合い父か母の元へ戻そうということになった。返事はなかなか来ず、半年ほど仕送りをしながらサツキからの返事を待った。
元主人から「サツキから連絡があったよ。あなたと暮らすんだって。」
私は驚いた。鼻から諦めていたし、どうしようと思った。自信がないのだ。あの時の傷を縫合することはできるのか。何度も元主人に確認をした。
久しぶりにサツキと電話で話をした。「ママと暮らす。」私は飛び上がった。
末っ子メイと暮らしはじめ、猫5匹の大所帯だ。広いところへ引っ越すことしか選択肢はなかった。
貯金は底をつくが田舎に中古物件を購入した。もちろん貯金一括で払える代物ではない。大きな借金を抱えたが後悔はなかった。
サツキは一緒に暮らすようになってからも高校の時からあまり変わらなかった。話をせず、部屋で篭りきり。四国でもそうだったのだろう。色白がもっと色白になっていた。青みがかかっていた。
再度一緒に暮らすようになって1年半経ちサツキと相談し心療内科に受診するようにした。
主訴は「頭がいたい」「眠れない」「動けない」と言うことだ。
また、次のお話で。
